水戸地方裁判所 昭和38年(ワ)133号 判決
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【判決理由】一 山田完が第二種原動機付自転車を運転中、原告主張の日時場所<編・註昭和三七年一一月二日午後七時五〇分頃勝田市田彦九七一七番地先道路>で、渡部行雄が運転していた乗用自動車と衝突し、この事故のため死亡したこと、被告はこの自動車の所有者であり、渡部行雄の雇主であつたこと、渡部はこの車を運転して被告の業務に従事していたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 被告の免責事由の有無について判断するに、<証拠>を総合すると、つぎの事実が認められる。
渡部行雄が前記自動車を運転し、乗客三名をのせて水戸方面に向い、道路の東側部分を中央線に接近して進行し、事故地点近くにさしかかつた際、前方から完の運転する自転車が疾走して来て突然中央線を越えて東側部分に進入(進入地点をA点とする)して来るのを発見した。渡部は自転車が自動車の正面に向つて来てその照明を浴びるようになつたのをみてとるや、とつさに、このままでは正面衝突をするであろうし、ハンドルを東(左)に切つて東側部分の東端を通ろうとすれば車輪が側溝に落ちるおそれがあると判断し、直ちにハンドルを西(右)に切ると同時に急停車の措置をとり(その地点を(一)点とする。(一)点から(A)点の距離は約四六、四メートルである)西側部分を進入して自転車を避けようとしたが、一旦東側部分に進入した自転車は、時速四〇キロメートル位の速力で、再び西側部分に戻つて来たため、自動車は(一)点から約一五、二メートルの地点(X点とする)で、車の右前部を自転車に衝突させ、自動車はそこから約三、五メートルスリツプして停車した((四)点とする)が、完は車もろともにはねとばされてしまつた。
このあたりは、道路はコンクリート舗装で、直線の見通のよい場所であるが、X点から近い畑の中に一軒家があるほかは、道路両側は大体畑で、灯火なく真暗であり、当時他には通行の車は全くない状態であり、道路の道巾は、一一、二五メートル、中央線の西側部分は五、六五メートル、東側部分は五、六メートルで両側には小さい溝があつた。
以上のような状況であつた。
この事実に基いて事故発生の責任について考察すると、相当な速力(鑑定の結果によると、衝突当時の自転車の速力が時速四〇キロメートル以上であるので、道路を進行中の速力はそれを下らないと推認される)で疾走して来た完の自動車が、追越すべき前行車もないのに、西側部分から突然東側部分に進入したことが事故発生の発端となつていることは疑いのないところである。そして、渡部がその際西(右)にハンドルを切つたのは、交通法規に反し、また道路巾からみて、東(左)にハンドルを切るべきであつたと原告は主張する。しかしながら、完の自転車は遠方から東側部分を進行して走つて来たのではなく、闇黒の道路上で、接近し、突然中央線を越えて進入して来たのである。発見時における双方の距離は明確にし難いが、前記(一)点の少し手前で発見したのであるから、(一)―A間の距離より若干遠い間隔である。(甲第六号証と清水明の証言によると、同人は、渡部のわきに乗つていたが、自転車が自分の正面にあらわれると、すぐ渡部が急制動をかけたことが認められる)このような完の行動は、車の操縦者としては極めて異常かつ危険極まりないもので、その後さらにどのような行動に出るのかとつさの間には判断しにくいというべきである。したがつて、渡部が、通常の場合なら、自転車と自動車とが安全にすれちがうだけの道巾(東側部分は五、六メートル)があつても、東にハンドルを切つて急停車しても衝突のおそれを免れず、さりとてあまりに東側に寄れば側溝に落ちるかもしれないと考え、他方西側部分には当時対向車なく、これに進入しても何ら危険を生ずべきおそれのない状況であつたので、(一)点でハンドルを西に切つて急停車の措置をとつたのは、まことにやむを得ない処置といわざるを得ないし、この近接した状況においては、あえて警音器を鳴らすまでもなかつたのであり(完も、自動車の存在を知つていたからこそ再び西に方向を転じたのである。)、そこに過失というに足りるものは見当らないのである。
つぎに、被告の自動車に構造上の欠陥または機能の障害がなかつたことは、証人浜浦勇次郎の証言並びに前記認定資料により認められる事故当時の状況により、これを肯認することができるのであつて、これをくつがえすべき証拠はない。
上述のとおりであるから被告には自動車損害賠償法第三条但書の免責事由があるということができる。(太田夏生)